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「食」でつながり、元気をひろげる 川口町生産組合「豆だ会」、「よらん会」
災害は人々の暮らしを根底から破壊するが、人の心まで挫くことはできない。 災害から立ち上がる過程で、それ以前には想像できなかった事業を起こしたり、 絆をつむいだりするものらしい。 北魚沼郡川口町ではいくつかの生産組合が町内で収穫した野菜などを加工し、 地場産の味として、国道17号沿いにある「道の駅 あぐりの里」の直売所で販売 している。ここで評判が高いのが「あぐり味噌」である。 「あぐりの里」でこの味噌を手にしてレジに並ぶ人に聞いてみると、 「友達からお土産にもらって、美味しくて懐かしい味が忘れられなくなりました。 娘夫婦のところとわが家用に買いました」(東京都・40代女性)。 いかにも田舎の味のするこの味噌も、中越地震がなかったら生まれていな かったかもしれない。
味噌の記憶
どんなに苦しい状況に陥っても「水と米、そして味噌があれば何とか生きて いける」。そう語るのは、新潟県川口町の丸山秀夫さん(65)。川口町は、 2004年10月の中越地震の震源地となった町である。 あの日、和南津地区を通り抜ける国道17号の橋とトンネルが被災、完全に通行 不能となり、集落も町も孤立した。当時、和南津地区総代だった丸山さんはその 状況を振り返る。 「救援物資が到着したのは、地震発生から三日ほど経った後だった。それ までの間、自力で生き延びた。崩れた家屋から薪ストーブを引っ張り出し、割れた 米櫃からお米を集め、食事を作った」。言うまでもなく、献立は普段の食卓とは 比べものにならない。主役はいつも、主食のご飯とあり合わせの具を入れた味噌汁。 周囲と隔絶された集落を、断続的に余震が襲う。不安、疲労、空腹のなかで、集落 の住民が肩を寄せ合いながらの食事の中で、味噌のおいしさは舌に刻み付けられた。 新潟の味噌はうまい。米がうまいのは当然だが、味噌のうまさも格別である。 このふたつがあれば、人はどんな境遇でも、元気が出せる。 疾風怒濤のような数日間で記憶に刻みつけられた味噌への思いが、「味噌を つくる」ことに結びつくまでには1年余の熟成が必要だった。 きっかけは、ある日の川口町の総代の集まりでの、川口町西川口の小宮山豊彦 さん(68)との出合いだった。小宮山さんの父親はかつて味噌造りを営んだことが あり、製造方法を熟知していた。一方の丸山さんは、味噌造りは未経験だったが、 酒蔵で麹造りの経験があった。 二人の経験談から、味噌造りに話が進んだ。 「酒飲みついでに出た話だったんだ。お互い定年になってからヒマだったし、 やることも無かったしね」小宮山さんは照れ隠しするように笑顔で話す。 2006年春、生産組合「豆だ会」がスタートした。初めの年は、町内の小学校で 味噌造り体験を行い、その時に手ごたえをつかみ、翌年には300キロの味噌を つくり「あぐり味噌」と命名し、直売所「道の駅・あぐりの里」で販売を始めた。 だがこの事業、そう簡単には軌道に乗らなかった。味噌を造るのと、商品 としての味噌造りとでは大きな差がある。市販の味噌は安価で、原料費を考えると 価格では勝負にならなかった。 そこで麹造りの腕に覚えのある丸山さんの出番だった。それまで業者から購入 していた麹を手造りにすることでコストを抑えた。それだけでなく、消費者の 動向や他社製の味噌を研究するなど試行錯誤を重ねた。 川口の大豆とお米と塩のみを原料に、天然の気温で熟成をさせるという越後の 伝統的な製法を徹底している豆だ会のあぐり味噌は、まず町内で評判になった。 「オレにも味噌を分けてくれ」と町の人がファンになってくれた。そこから口 コミですこしずつ評判が広がり、生産量も増えていく。 熟成のための木桶が足りなくなると知人に声をかけた。すると小千谷市の山粂 商店を営む山岸久一さん(66)から「ここに使わない桶がある」と譲ってくれた。 大豆は川口町牛ヶ島の江畠隆さん(68)をはじめ同町の農家が協力してくれた。 2007年に大豆2トン弱を仕込んだ味噌は完売した。 「地域の人たちの協力が、味噌造りを続けていく支えになった。今年は4トンの 味噌を造りますよ」と語る小宮山さんの表情には自信が漲っていた。
川口のご馳走が結ぶ絆
あぐり味噌は、同町の生産組合「よらん会」でも使われている。 よらん会は川口で穫れた野菜を使って加工食品を造り、直売所に持ち込み販売 している。豆だ会の味噌を使った味噌おにぎりの他、おからハンバーグやゴマ豆腐、 よろこんぶ煮(煮物)、コブ巻などたくさんのメニューを揃えている。 このよらん会は主婦感覚を活かして川口産の野菜を使った料理を町外の方々にも 味わってもらうため、川口町農村振興課が関典世さん(58)ほか川口町の主婦らに 声をかけて1999年に結成された。当初は町の直売所やえちご川口温泉などで、五目 おこわを販売していた。 中越地震はよらん会にも大きな影響を与えた。「調理場が被災してしばらくの間、 電気が止まっていたから冷蔵庫の中の食材は全部ダメになり、漬物もダメになりま した。」と関さんは語る。それでも震災2ヶ月後の直売所再開に合わせ、よらん会の 活動も再開した。 「直売所に来るお客さんも少なく、余った食品は会のメンバーで分けていました。 川口町に入ったボランティアの方々がカップラーメンを食べていたのを見て、 せめての感謝の気持ちを込めて彼らに何かできないかと考え、五目おこわを配りました」。 ボランティアたちは関さんたちに、お礼とともに励ましの声をかけたという。 「地震で自宅の後片付けもままならない中、よらん会の活動を続けていけるか不安も ありました。でもボランティアの方々から大変だろうけど頑張ってくださいって。 その言葉が嬉しくて、もっと頑張ろうと思った。よらん会のメンバーも細々とでも いいから活動を続けたいって言ってくれた」。 地震前よりも活動は活発になった。メンバーが採取した山菜などを用いたり、 季節ごとに旬の食材を使った料理をメニューに加えた。川口町で開かれた震災一周年 イベントやボランティア同窓会から「川口のご馳走を」と、町で採れる四季折々の 食材を盛り込んだお弁当の注文も入るようになった。 地域の仲間も力を貸している。川口町牛ヶ島の江畠芳昭さん(59)は山タケノコを、 同町西川口の星野洋子さん(67)は味噌おにぎりを包むササを提供してくれる。 会のコンセプトは「味もたいらに、気持ちもたいらに」と、関さんは独特の表現を 使った。「地震で大変だったけど支援してくれるみんなが美味しいって言ってくれる。 それが私たちの力になる」。 国道沿いの直売所には、日本各地からたくさんのお客さんが集まってくる。埼玉県 さいたま市からやってきた五十代夫婦は「長岡の友人へ会いに行く途中で、いつも ここに寄って買い物しています。初めは被災された川口への応援の意味もありました。 でも、一度食べたらやめられません。美味しいから、ついついまた買いに来てしまいます」 と買ったばかりの袋を持ち上げて見せてくれた。 顔も知らない誰かとも、川口のご馳走を通して繋がっている。 被災の苦しみを乗り越え、続けてきた活動の一番のモチベーションは「楽しいから」 だと関さんは言う。その楽しさは、震災から立ち直ろうとするなかで生まれ、大きく 育ってきたものなのである。
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